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2015-10-15(木)17:34

日本におけるコピー機誕生の歴史

Category:
基礎知識

 日本におけるコピー機誕生の歴史

今やオフィスだけでなく日常に欠かせないコピー機。誕生までの歴史を振り返ります。写真技術、複写技術を合わせ、過去たくさんの技術者たちがコピー機の開発に取り組んできました。あの有名な偉人であるジェームズワットやエジソンもその一人です。

発端はシーボルト事件

シーボルトは、長崎の出島に医師として来日し、鳴滝塾を開くなどして活躍したオランダ人医師です。門下から高野長英など多くの学者を輩出しました。そのシーボルトが、1828年の帰国時に国外持出し禁止の日本地図をもっていたことから国外追放になりました。地図を渡したのは高橋景保とされ、多数の門人とともに処罰されました。この事件をシーベルト事件と呼ばれています。
長崎奉行の家宅捜索が入るのを察知したシーボルトは、模写の終わっていなかった地図をあわてて複写します。複写には時間がかかり、もう少し早いタイミングでコピーの技術が入っていたら、歴史が変わっていたかもしれません。
シーボルト事件から11年後の1839年、フランスのダゲールが写真の実用化に成功します。一方、1806年には、イギリスのラルフ・ウェッジウッドがカーボン紙を発明しています。そしてエジソンはガリ版刷りの印刷技術を発明しました。これは日本で重宝され、「プリントゴッコ」の技術にも使われています。
その頃のコピー機は、蒸気機関を発明したジェームズ・ワット元祖です。インクが裏まで染み込みやすい薄い紙を使って、紙から別の紙に内容を転写する手法を考案し、20世紀まで使用され続けました。

理化学研究所の「陽画感光紙」

1835年にタルボットが発明したカロタイプはネガがあるので複写ができる画期的な技術でしたが、銀を使うためコストがかかりました。そこで1842年、ジョン・ハーシェルによる「青写真」は、銀を使わずに画像を定着させる技術に成功しました。青写真は、青い紙に白い線で図面が描かれているため、図面に文字を書いたり訂正することができませんでした。
その後、1927年、日本の理化学研究所(理研)が「陽画感光紙」を発明し、白地に青または紫の文字によるプリントが実現しました。理研の感光紙は、オイルペーパーに原図を描き、日光で焼き付きをすることで出来上がりました。これを販売する会社が1963年に「リコー」となりました。日光が必要なため、晴れの日にしか使えないのが問題でした。

富士ゼロックスの誕生

1920年、ドイツでジアゾ式複写機が発明されます。ジアゾとは窒素の化合物で、紫外線照射により感光させます。これがいわゆる「青焼き」で手間がかからず大判の複写ができるため、図面に多用されました。
1938年、アメリカのチェスター・カールソンは、光を使わず電気だけで画像を記録する革命的な技術「ゼログラフィー」を発明しました。
しかし、今まで開発したコピー機には大量の水分が必要となり大がかりな機械になってしまう欠点がありました。湿式ではなく、乾式のコピー機ができないものかと開発する必要がありました。
1955年、アメリカのハロイド社は、この技術と、光が当たると電気抵抗が変わる「光導伝体」の技術を組み合わせ世界初の複写機を開発しました。これが後のゼロックスです。
日本では1962年に富士ゼロックスがゼロックスの複写機を普及しはじめました。これ以降、コピー機はオフィスに欠かせないものになりました。

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